英語を勉強しろ!と日々言っている私がこんなことを言うのもなんですが、皆さんは自分が使っている日本語についてどれくらい知っていますか?
私は英語を教える立場にあるので、もちろん英語についての知識を日々アップデートしようと思っているのですが、最近は日本語にも興味があります。というのも、もともと言語学に興味があったのもありますが、授業をしていて日本語を例に出しながら説明するとかなりわかりやすいときがあるなあ、と感じることが多いからです。そこで色んな資料に手を出そうと思い、いくつか文法書を買ってみたりしているのですが、まだまだ全然勉強できていない状況です……。
日本語についてしっかり学んでみる、というのはおそらく、私が教えるうえだけではなくて皆さんが英語を学ぶうえでも役立つはずです。皆さんが何気なく使っている日本語を、すこし離れた客観的な視点から見てもらうと、面白い発見があると思います。
そんなとき、Youtubeでこんな動画を発見しました。The Japanese Language
海外の日本語学習者向けに、日本語の大まかな成り立ちや基本的な文法などについて解説してくれている英語の動画です。とても聞き取りやすい英語で、しかも皆さんに身近な話題について解説してくれているので、少し長めの動画ですが、観てみませんか。私の個人的なお勉強ノートも兼ねて、以下に少しだけ解説をします。
・1億2600万人の話者を持ち(推定)、母語話者数は世界で9位
・2000-3000年頃に大陸からやってきた弥生人ともともと住んでいた縄文人によって話されてきた
・もともと文字を持たず(3世紀ごろに中国との交流が始まり、4世紀ごろに漢字を取り入れた)
・8世紀から9世紀ごろに漢字から仮名文字を発明した
・12世紀から17世紀ごろに主に音声面が急速に変化し、現代の日本語に近づいた
・1603年から1853年までの鎖国中、一部の場所でのみ海外との交流が許された
(オランダ語をもとにする言葉が流入; ガラス、ランプ、コーヒーなど)
・明治期には西欧の様々な学問を取り入れる中で、様々な概念を漢字に翻訳して使うようになった(哲学や社会、自由や個人など、今でも使われる言葉はこの時作られた)
●日本語は「膠着語」
日本語と英語には様々な違いがありますが、紹介されていた中でも特に大きな違いの一つであるAgglutination(膠着)についてまとめます(参考:旅する応用言語学:膠着語・孤立語・屈折語・抱合語について)
膠着語とは、語の頭や後ろに助詞などをどんどんくっつけていって、文章を作るタイプの言語です。それ自体に意味を持つ自立語に、それ自体には意味を持たない機能語がくっつけられていくことで意味が表現されます。日本語は膠着語に分類され、このような言語では語順ー語を並べる順番のルールが比較的ゆるく、語の順番を入れ替えても意味が通る事が多いです。
例えば、次の文の赤い部分が「機能語」です。それ自体では意味を持たない、文法的な機能を持つ語です。
私は 学校を 休んだ
この文をこのように入れ替えても意味が通ります。
学校を 私は 休んだ
一方で、英語はそのような文の作り方をしません。英語は語の形をあるルールに沿って変化させる方法をとります。このような文の作り方をする言語を屈折語といいます。一番簡単な例で言えば、動詞に活用変化があったのを覚えていますか。三人称単数なら-s、過去形なら-ed、のように、語の変形によって意味を変えようとするのが屈折語です。
「怒る」という動詞を使って、皆さんが日常的に使っている日本語がどれだけ難しいことをやっているか見てみましょう。「怒る」(to be angry)という語根に「らせる」をくっつけると、「る」が「ら」になって「怒らせる」(to make someone angry)となります。「怒らせ」に「したい」をくっつけると、「怒らせたい」(I want to make someone angry)となり、それを否定の形にすると「怒らせたくない」(I don't want to make someone angry.)となります。核となる「怒る」に複数の機能語を追加することで、全く別の表現として「怒らせたくない」を引き出すことになります。英語とはかなり違った文の作り方をしているのに気づきましたか。だから英文を作るのは難しいし、海外の日本語学習者にとっては日本語を作るのはとてもむずかしいのだと言えます。
●最後に、考えてほしいこと
この動画で紹介されているひとつひとつの事柄が、詳しく語ろうと思えば記事になるような大きなテーマなので、興味があれば是非調べてみてほしいのですが、最後に強調しておきたい、ことばを学ぶ上での重大な意義があります。それは、ことばの変化しやすさや他の言語との相違点を学ぶことで、薄っぺらい国粋主義を鵜呑みにしない視点を持つことができるということです。国粋主義、というと難しいですが、要は「日本古来の○○が優れている」だとか「日本語は美しい」のような、日本/日本語を必要以上に持ち上げるような意見に惑わされずにすむということです。
「うつくしい」と言われる日本語はそもそも昔の中国から文字を輸入していますし、今では外来語まみれです。しかも、そもそも発音の仕方だって今とは全く違ったはずでしょう。その「うつくしい」日本語の標準語を全国民に話すことを強制するために沖縄や鹿児島で行われた「方言札」のような言語政策上の野蛮な方法があったことも知っておいてほしいです(参考:方言札とは何か~前編:客観的に見た琉球・奄美における言語統制~)。ことばも文化も、そして私達も外部からの影響なしにはやっていくことができません。ことばや文化、考え方が不変のものではないことや、他の地域や文化と影響を相互に与えあって今の日本/日本語があることをクールに認められることが、日本語を改めて学んでみる一つの意義です。自分の生まれ育った場所やことばを愛することに特別な理由はいらないはずです。
(オランダ語をもとにする言葉が流入; ガラス、ランプ、コーヒーなど)
・明治期には西欧の様々な学問を取り入れる中で、様々な概念を漢字に翻訳して使うようになった(哲学や社会、自由や個人など、今でも使われる言葉はこの時作られた)
●日本語は「膠着語」
日本語と英語には様々な違いがありますが、紹介されていた中でも特に大きな違いの一つであるAgglutination(膠着)についてまとめます(参考:旅する応用言語学:膠着語・孤立語・屈折語・抱合語について)
膠着語とは、語の頭や後ろに助詞などをどんどんくっつけていって、文章を作るタイプの言語です。それ自体に意味を持つ自立語に、それ自体には意味を持たない機能語がくっつけられていくことで意味が表現されます。日本語は膠着語に分類され、このような言語では語順ー語を並べる順番のルールが比較的ゆるく、語の順番を入れ替えても意味が通る事が多いです。
例えば、次の文の赤い部分が「機能語」です。それ自体では意味を持たない、文法的な機能を持つ語です。
私は 学校を 休んだ
この文をこのように入れ替えても意味が通ります。
学校を 私は 休んだ
一方で、英語はそのような文の作り方をしません。英語は語の形をあるルールに沿って変化させる方法をとります。このような文の作り方をする言語を屈折語といいます。一番簡単な例で言えば、動詞に活用変化があったのを覚えていますか。三人称単数なら-s、過去形なら-ed、のように、語の変形によって意味を変えようとするのが屈折語です。
「怒る」という動詞を使って、皆さんが日常的に使っている日本語がどれだけ難しいことをやっているか見てみましょう。「怒る」(to be angry)という語根に「らせる」をくっつけると、「る」が「ら」になって「怒らせる」(to make someone angry)となります。「怒らせ」に「したい」をくっつけると、「怒らせたい」(I want to make someone angry)となり、それを否定の形にすると「怒らせたくない」(I don't want to make someone angry.)となります。核となる「怒る」に複数の機能語を追加することで、全く別の表現として「怒らせたくない」を引き出すことになります。英語とはかなり違った文の作り方をしているのに気づきましたか。だから英文を作るのは難しいし、海外の日本語学習者にとっては日本語を作るのはとてもむずかしいのだと言えます。
●最後に、考えてほしいこと
この動画で紹介されているひとつひとつの事柄が、詳しく語ろうと思えば記事になるような大きなテーマなので、興味があれば是非調べてみてほしいのですが、最後に強調しておきたい、ことばを学ぶ上での重大な意義があります。それは、ことばの変化しやすさや他の言語との相違点を学ぶことで、薄っぺらい国粋主義を鵜呑みにしない視点を持つことができるということです。国粋主義、というと難しいですが、要は「日本古来の○○が優れている」だとか「日本語は美しい」のような、日本/日本語を必要以上に持ち上げるような意見に惑わされずにすむということです。
「うつくしい」と言われる日本語はそもそも昔の中国から文字を輸入していますし、今では外来語まみれです。しかも、そもそも発音の仕方だって今とは全く違ったはずでしょう。その「うつくしい」日本語の標準語を全国民に話すことを強制するために沖縄や鹿児島で行われた「方言札」のような言語政策上の野蛮な方法があったことも知っておいてほしいです(参考:方言札とは何か~前編:客観的に見た琉球・奄美における言語統制~)。ことばも文化も、そして私達も外部からの影響なしにはやっていくことができません。ことばや文化、考え方が不変のものではないことや、他の地域や文化と影響を相互に与えあって今の日本/日本語があることをクールに認められることが、日本語を改めて学んでみる一つの意義です。自分の生まれ育った場所やことばを愛することに特別な理由はいらないはずです。
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