MOOCs
(Massive Online Open Courses)は、無料で各国の大学の講義をオンライン受講できるサービスのことを指すのですが、皆さんはご存知でしょうか。今、スマートフォンとオンライン環境さえあれば、科学、経済学、物理学、歴史学、文学、言語学……など、あらゆる領域の学問について、その最先端を走る研究者の授業が、いつでも、どこでも受けられるようになっています。
青空文庫やTED talksなど、無料で知的なエンターテイメントを享受することができるシステムはこれまでにもたくさんありましたが、このように莫大な知的コンテンツを、体系だった形で、無料で開放するというのは本当に革新的なことです。
例えば私はCoursera(東京大学の授業もある!)で、言語学や哲学に関する授業を英語で受けています。最近は日本語での講義や、日本語字幕のついた講義もどんどん増えているようです。
他にもプログラミングや機械学習など、ITに特化した講座を提供するUdacity、最大の規模を誇り、京都大学も参加しているedX、高校生までの学び(数学、物理、科学、歴史など)に焦点をあて、優しい英語で解説してくれるKhanAcademyなど、様々な知的コンテンツが、無料で開放されています。ただし、これらの多くには、講義動画の視聴や、資料、課題に取り組む上で、ある程度の英語運用能力を身につけていることが求められます。しかし同時に、ここが皆さんの超えるべき壁だとも思うのです。
皆さん、試しにどれかひとつの、一番興味深いMOOCを選んで、授業に参加してください。この人が何を言っているのか、資料に何が書いてあるのか、外国語だからわからない、でも自分の知的好奇心を満足させるためには、これを「わかる」しかない。そんな環境に自身をおいたときに、外国語の運用能力は開花します。つまらないものを耐えるためにではなく、わかりたいものを分かるために、わからないものを楽しむために、知識も、外国語も必要だと考えています。好きなもの、わかりたいものについて調べる時の言語を、英語にしてみてください。
実は以下のように日本でもMOOCsの動きは活発になっていますので、大学がどんな学問をするところなのか、気になる場合は見てみてください。
技術と社会の変化速度が加速を続けるにつれて、単に差し出された教育を吸収するだけで、興味駆動で自己誘導的な生涯学習の能力を発達させられない学生は、永遠に不利な立場に置かれる。学習への情熱を持った生徒たちは常に、正規の教育が終わったずっと後でも、必要となることを自分に教えられる(p.207)。
オンライン学習サービスの到来によって、知的なコンテンツがあらゆる人々に行き渡り、一見、学びに関する不平等が解消されることになるかのように思えますが、実態はそうではありません。自分の興味関心に従って、学び続けられる体力と知的好奇心を備えた人たちだけが、MOOCsの恩恵-(それは単にお金であったり学歴であったり、ひょっとして幸福という抽象的なものであったりするかもしれない)-を受けることができる、そんな時代がすでに来てしまったのだろうな、と、感じます。
「教育」は誰かにしてもらうこと。「学習」は自分が自分にすること(『9プリンシプルズ』より)です。皆さんはこうした意味での「学習者」になれるでしょうか。
「教育」は誰かにしてもらうこと。「学習」は自分が自分にすること(『9プリンシプルズ』より)です。皆さんはこうした意味での「学習者」になれるでしょうか。
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